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さとうみつろう|なぜ感情は湧くのだろうか?|神さまとのおしゃべり


Gerd Altmann

なぜ感情は湧くのだろう?

引き続き さとうみつろう さんの書籍『神様とのおしゃべり』から紹介したいと思います。

感情はなぜ湧くのか?という疑問も、普段何気なく生活をしている中ででてくるものではありません。会社で嫌いな上司のことを考えて腹をたてているみつろうに神さまは問いかけをしてきます。

書籍の中の前章で邪魔な「固定観念をみつける」には現実を使うことを神さまに教えてもらったみつろう。神さまの問いかけに目の色を変え質問をします。(笑)


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感情と一体化している人間たち

神さまおいみつろう、どうして感情が湧くのか、お前にはわかるか?

みつろう:どうしてだ?理由なんてねーよ。ただ、イライラしたからでしょ?課長の存在自体がむかつくんじゃい!「感情が湧く理由」なんてまるで興味ないっつーの。

神さま:感情が湧く理由さえわかれば、すぐに余計な固定観念をチェックできるのに。

みつろう:……教えてください、神さま。
先ほどから、 無性に気になって仕方がありませんでした。「感情が湧く理由」が。なんとタイミングのいいお誘いだこと。

神さま:全く調子のいいヤツじゃ。まあよい。そもそも人間は、感情と一体化している
だから、「どうして感情が湧くのだろう?」と立ち止まって考えたことすらない。
ほとんどの人間が、怒りにまかせて怒鳴り、悲しみにおぼれ泣き、感情に振り回されて生きておる。

本来は、感情を選択する立場が人間なのにな。

みつろう:感情を、立ち止まって見つめる?冷静になれってこと?

神さま:まぁ、冷静になるというより静観するという感じかな。

 怒っていることを、英語では、「I’m angry」と言う。でも正しい英語では「I feel angry」 なんじゃよ。前者は「私は怒りです」と言っとるんじゃぞ?「あなた」は「怒り」ではないじゃろ?あなたは、「あなた」じゃ。「あなた」が「怒り」 を「感じた」じゃないか。

みつろう:成功哲学を 学べると思っていたら、いきなり英会話レッスンになってますけど、大丈夫?このコースであってる?駅前の留学先間違えちゃったかな?

神さま:いいから、 ふざけないで聞きなさい!

感情に飲み込まれている人、すなわち「私は怒りです」と自己紹介した人は、 ずっと怒りのままじゃろ?だって「その人」自身が「怒り」なんじゃからな。

ところが「I feel angry」 つまり「わたし」が「怒り」を感じています、と静観できている人は、その後「よろこび」だって再選択できるじゃろう。
感情を選ぶ側の立場にいるんじゃから。
だから、感情が湧いた時には感情におぼれず、自分自身を静観してみなさい。
誰がその感情を選択しているのか?」と自分に聞くことによって。

これが第1ステップじゃ。

みつろう:それって昔から言われてる話でしょ?一度、頭を冷やせ。みたいな。

神さまそんな、ありきたりな教えじゃない。わしのはもっとすごい!!

「感情と同化するな」と言っているんじゃ。

そして、感情に同化しないことに成功したならば、 次は「どうして私はこの感情を選択したのだろう?」と考えなさい。ようするに、どうして私にはこの感情が湧いてくるのかを考えるんじゃ。

みつろう:感情が湧く理由?そんなの勝手に湧いたんじゃないの?

神さま:違う!感情が湧く場所には、一つの例外もなく理由がある。

それこそが、その人の信じている固定観念なんじゃよ。その前提があるから、感情が湧いているんじゃないか。火のないところに、煙は立たないじゃろ?

理由がないところに、涙はこぼれんよ。

以前「学びの仲間」と感情はどの時点で決まっているのだろうか?沸騰する水で例えるとしたら、鍋のそこで泡になるのを待つときにはもう決まっているのだろうか?と話をしていました。

もう鍋に水を入れたときに決まっている。ということでしょうか♪

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神さまとのおしゃべり

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神さまとのおしゃべり さとうみつろう 著 P.105〜108 より抜粋 2018年1月初版発行 サンマーク出版 ISBN10: 4763160966 ISBN-13: 978-4763160966
※当初はワニブックスから2014年に出版されました

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