『スピリチュアル』に疑問がでてきたとき
皆さんはスピリチュアルという言葉や考えに出会ったのはいつ・どんな時でしょうか?
ある日突然スピリチュアルな思想に出会った人もいるでしょうし、悩みに悩み抜いていた時にたどり着いたという人もいるかもしれません。
出会いはどうであれ、それに惹かれ、熱心に勉強を重ねてみると、しばらく経ってくると疑問が生じたり、色あせてきたりするものです。
恋愛と一緒ですね♪(あてはまらない永遠の愛もあるとおもいますが(笑)
今回は『バシャール vs 須藤元気』という書籍の中で、須藤さんがそのように感じたときのスピリチュアルの疑問をバシャールにぶつけている章がありましたので、ご紹介したいと思います。
須藤元気ってどんな人?
須藤元気さんは、レスラーとしてデビューしました。格闘家の人気者であった中での引退宣言。その後はまさにマルチな才能を発揮し、タレント、アーチスト、そして現在は参議院の国会議員として活躍中です。
ワールドオーダーも彼がメインアクトでしたが、一線を退いたようです。※最近、再度復帰をされたようですね♪ 今はどうなのでしょう?↓
現在拓殖大学でレスリングの監督もされています。
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『スピリチュアル』をより深く理解していくために
須藤 元気:以前はスピリチュアルな話題がすごく好きでいろいろ勉強していたのですが、最近、いわゆる”スピリチュアル”というものがお腹いっぱいになってしまいました。スピリチュアルなものを違ったアプローチでいろいろとお話できればうれしいです。
バシャール:あなたは今もスピリチュアルなものに深く興味を持っておられるけれど、それを表現する形を変えているということですね。
須藤 元気:はい。たとえて言うならば、いつも靴を右足から履いていたのを、左足から履くことに変えるように。
バシャール:スピリチュアルな生き方をするために、スピリチュアルな用語を知っている必要はまったくありません。
あなたはこれまではスピリチュアルな言葉を学んでこられました。
今度は、それを行動に応用しているところです。ですから、言葉を学ぶことにはもうワクワクしていません。応用することの方がワクワクするでしょう。
あなたは今、自分のスピリチュアリティを表現する方法を変えています。そんなふうに変化することによって、実は自分自身のスピリチュアリティを広げているのです。
これはたとえば、大学で何かのテーマを学ぶことと、卒業してその知識を実際に仕事に応用することとの違いのようなものです。わかりますか。
須藤 元気:はい。最初、僕はスピリチュアルな本をたくさん読んで、それでわかったふりをしていたのですが、結局、その知識が逆に僕のスピリチュアリティの邪魔をしていたことに気づきました。
その後、瞑想をして知識を手放すようになってから、本当の意味でのスピリチュアリティをより深く理解するようになったのです。
大掃除したら、自分の部屋の広さに気づいたような感覚です。
他に何かスピリチュアルに対して、前頭葉ではなく、もっと感じることのできる方法はあるのですか。
バシャール:はい、それがまさに私たちの話していることです。
知識を持っているだけでは理解に至ることはできません。
持っている知識を具体的な行動に適用してみたときに初めて理解ができます。自分のスピリチュアリティの表現として行動すること。
それによって本当の意味での理解に至ることができるのです。行動が大事です。わかりますか。
いつもながらのことですが『行動が大切』ということですね。本を読んだりセミナーに参加し、そこで得た満足感で終えるのではなく、そこで得た知識をどのように生活の中で活かしていくかがキーポイントのようです。
次の章に続きます。
バシャール スドウゲンキ
バシャール スドウゲンキ ダリル・アンカ/バシャール 著&2 その他 P.130〜132 より抜粋 2007年11月初版発行 株式会社ヴォイス ISBN-978-4899762218
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