空海がひろめた真言宗。唐に渡って帰国後に密教のエッセンスを日本に伝えていきました。
空海は今の香川県に生まれ、若い時から頭角を現し、30歳の頃、正規の遣唐使/留学僧として唐(中国)に旅立ちます。
そこで密教の第一人者、恵果和尚からおしえを受けました。
遣唐使として共に行ったとされる僧、最澄は天台宗の祖。
最初はとても仲がよかったのですが、これからご紹介する理趣経が元でお互いに離れていったとされています。
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- 男女交合の妙なる恍惚は、清浄なる菩薩の境地である
- 欲望が矢の飛ぶように速く激しく働くのも、清浄なる菩薩の境地である
- 男女の触れ合いも、清浄なる菩薩の境地である
- 異性を愛し、かたく抱き合うのも、清浄なる菩薩の境地である
- 男女が抱き合って満足し、すべてに自由、すべての主、天にも登るような心持ちになるのも、清浄なる菩薩の境地である
- 欲心を持って異性を見ることも、清浄なる菩薩の境地である
- 男女交合して、悦なる快感を味わうことも、清浄なる菩薩の境地である
- 男女の愛も、清浄なる菩薩の境地である
- 自慢する心も、清浄なる菩薩の境地である
- ものを飾って喜ぶのも、清浄なる菩薩の境地である
- 思うにまかせて、心が喜ぶことも、清浄なる菩薩の境地である
- 満ち足りて、心が輝くことも、清浄なる菩薩の境地である
- 身体の楽も、清浄なる菩薩の境地である
- 目の当たりにする色も、清浄なる菩薩の境地である
- 耳にするもの音も、清浄なる菩薩の境地である
- この世の香りも、清浄なる菩薩の境地である
- 口にする味も、清浄なる菩薩の境地である
原文
妙適淸淨句是菩薩位
慾箭淸淨句是菩薩位
觸淸淨句是菩薩位
愛縛淸淨句是菩薩位
一切自在主淸淨句是菩薩位
見淸淨句是菩薩位
適悅淸淨句是菩薩位
愛淸淨句是菩薩位
慢淸淨句是菩薩位
莊嚴淸淨句是菩薩位
意滋澤淸淨句是菩薩位
光明淸淨句是菩薩位
身樂淸淨句是菩薩位
色淸淨句是菩薩位
聲淸淨句是菩薩位
香淸淨句是菩薩位
味淸淨句是菩薩位
原文をみると、和合=男女 と書いていますが今の世の中で考えると、男女だけではない様々なカタチや繋がりが当てはまると思います。
最澄はこの経典を空海に貸して欲しいと頼みますが、軽々しく貸すことはできない、と空海は断ります。この教えの受け取り方によっては、快楽至上主義になるのを嫌ったものとされています。
このくらい自由で豊かでいいと知ると、
人生が楽になる人も多いと私は感じました。
空海について調べていると、とても奥深いものがあり、学んで行きたいと思いました。
現在『空海』という映画が上映されています。その原作となる夢枕獏の『沙門空海唐の国にて鬼と宴す』の中で理趣経が紹介されていたのを知り、こちらでもご案内させていただきました。
わかりやすい空海についてのユーチューブがあったので置いておきます。最澄とのやり取りや、理趣経についても触れています。
(削除されました)
以下、弘法大師のお言葉を引用しておきたいと思います(^^)
修行して悟りを得ようとする人は、心の本源を悟ることが必要である。心の本源とは清らかで綺麗な明るい心である。
— 弘法大師 (@kobodaishikukai) June 24, 2020
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