シュリー・ニサルガダッタ・マハラジの最新刊『意識に先立って』からのご紹介です。(※2018年9月現在)
今回は『マインド』についての質問から始まります。エゴを捨てたいという質問者は、『ジニャーニ※は、慈悲ゆえに無知な者たちに知識を詳しく伝えているのか』と質問します。
※ジニャーニ…智者、賢者。真我実現した聖者のこと
質問者に対してマハラジはなぜそのような質問をするのか?と問いただしながら、『知識のあることがマインドを認識するが、マインドは意識を認識することはできない』と、指し示します。
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1980年10月2日
マハラジ:<前段 略>
霊性の中に入る者は、火にかけられた冷たい水のようなものだ。
冷たい水を火にかけるとき、泡が立ち始め、いずれそれは沸騰し始める。沸騰の段階は、霊性の最高のクラスに入ったサーダカ※のようなものだ。
※サーダカ…霊的修練者、心理の探求者
沸騰している地点で、彼は多くをしゃべり、 多くの質問をする。さらに火にかけ続けられれば、沸騰は終わり、蒸発が始まる。
これが人が霊性の中で知識を獲得する段階だ。
これらの話を聞いたあと、あなたは静寂の中に入ることができるだろうか?
私はそれを疑っている。
なぜなら、あなたはまだ欲深い自分のマインドを喜ばせたいと思っているからだ。
もし私の言うことを本当に理解したなら、あなたが自分のマインドを喜ばせようとそうでなかろうと、問題だろうか?
私はあなたに、現在のあなたは肉体の中の温かさだと言った。
パナブラフマン※はどんなものだろうか?パラブラフマンは「私は在るという性質」の温かさを全く経験しない。
もしあなたが理解するなら、この謎は解かれることだろう。
ニサルガダッタ・マハラジ
※パラブラフマン…絶対。至高の存在。
最後の結びは難解です。
他の章で、マハラジの言う『意識』についてこのような説明がされています。
ここで使われている意識は、
この生きて、存在している感覚、存在感のことだ。
それはあるゆる願望の源泉と原因である存在の愛なのだ。ニサルガダッタ・マハラジ
と書かれています。そして
誰が意識を認識するのか?
マインド以前に知識のあることの原理がそこにある。
知識のあること以前に、この意識を知る一番最初の原理がある。最終的な分析をすれば、
知識がないところから知識が生まれ、
知識が世界やすべての存在、物事を配達していたのだ。ニサルガダッタ・マハラジ
ともあります。
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