じわじわとご好評をいただいている、ダグラス・ハーディングのお話の続き『存在し、存在しない、それが答えだ』からご紹介です。非二元論・ノンデュアリティに興味がある人はダグラスの本を読んでみたり、彼の行っている『実験』を知るのはとてもマッチすると思います。
ときどき訳者の高木さんが大阪や東京でダグラスの教えを体験するワークショップをやっているようです。私も一度うかがってみたいなと思ってます。
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存在と非存在は純金でできた一つのコインの表裏である。
ハムレットのように、私たちは真ん中で引き裂かれているので、私たちの人生の通貨の価値は引き下げられ、私たちは惨めなほど貧しい。
しかし、ついにコインの二つの面をいっしょにする時、
私たちはもはや
「存在するか、あるいは、存在しないか」ではなく、
「存在し、そして、存在しない」という状況となり、
比較できないほど自分が豊かで、
私たちの全人生が変革されたことに気づくのである。
では、この新しい人生は実際どううまくいくのだろうか?
私の経験では、それがどんな種類であれ二方向の、存在するー存在しないという事柄である。
私が「自分の注意」と呼んでいるものは、存在する対象を指し示すと同時に、存在しない主体をも示し指し示すという二重の矢という形態をとる。
たとえば従来の 顔対顔※と言う場面は、次の図のように置き換えられる。※ダグラス・ハーディングのよく行っている実験
今までのように無意識的ではなく、意識的にこのように生きることで、物事は非常に違ってくる。この二方向のヴィジョンを人生のあらゆる変わりゆく環境の中で実践することは、実に役立つことである。
たとえば私とあなたが、もはやお互いに顔対顔となっていないと見れば、お互いに対決と対決を止めることになる。
このヴィジョンを安定させ、習慣的なものにするためには多くの練習が必要なことは否めない。しかし、私は保証するが、どんな練習も無駄ではなく、そしてもしあなたがかつての私のように病的な自意識に苦しんでいるとしたら、それを取り除くのにそんなに時間はかからないだろうと思う。
これが非常に様々な点でそんなにもうまくいく理由は簡単である。
つまり、それはあなたの本質、私たちの本質に戻るからである。
こういう風に私達は作られているのである。ダグラス・E・ハーディング
私は在る、そして、存在しない。それが腑に落ちるときに私は生きていたい。なんて思うのでした。
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