ラメッシ・バルセカールの本「誰がかまうもんか?!」(※外部リンクへ)は、師であるマハラジのアイ・アム・ザットと比べると、わかりやすい文体と内容であると聞き、手にしてみました。
本編では、悟ろうとすればするほど、悟りから遠くなるということを質問者とラメッシによる対話形式で、書かれています。
以下 序文からざっくばらんなタッチです。
誰がかまうもんか?!
毎月、その弟子は自分の進歩を書き綴って、師にまめに送っていました。
最初の月、彼は次のように書きました。
「私は意識の拡大を感じ、宇宙との一体感を体験します」。
師はその報告を一読すると、投げ捨てました。次の月、彼は次のように書きました。
「私は、あらゆるものの中に聖なるものがあることを、ついに発見しました」。
師はそれを読んで、失望したようでした。三ヶ月目、その弟子の文章は、熱狂的に叫んでいました。
「一なるものと多様性の神秘が顕現し、私はそれを見て、驚いております」。
師は首を振って、その手紙をまた投げ捨てました。その次の手紙にはこう書かれていました。
「誰も生まれず、誰も生きておらず、それゆえ誰も死なない。というのは、エゴの自分というものは存在しないからです」。
師は完全に絶望したと言わんばかりに、両手を上げました。それから、手紙が来ないまま、二ヶ月、そして五ヶ月、ついには丸一年が過ぎ去りました。師は、弟子が自分の霊的進歩について、そろそろ知らせてきてもいい頃ではないかと催促しました。
すると、弟子から手紙があり、こう書かれていました。
「誰がかまうもんか」
この言葉を読んだとき、大いなる満足の様子が師の顔面に広がりました。
本を読み、悟りに近づこう、至ろうとすることを終わりにする必要性を感じます。悟りや解脱をめざさずにただ今を懸命に生きることの積み重ねが、日常的な瞑想の様に働き、そこへ導くのかも知れません。
言葉で表現しにくいのですが、解脱や悟りを紐解こうとすれば紐解くほどに、遠くなる様な感じがしました。
この『誰がかまうものか』というセリフについて、質問した章があります。次にご紹介していきましょう。
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